先週は悲しいニュースが続きました。
小さなお子さんを残して、優しいママが亡くなったニュース・・・
そして個人的にも、息子たちが通っていた幼稚園の園長先生が亡くなり、悲しみの中お通夜に参列しました。
本当に悲しい出来事は、突然に起きるものだと痛感します。
と同時に、自分の生きる姿勢を静かに問われているようで、普段の生活を振り返る機会を与えていただけます。
断捨離で振り返る
断捨離できない物①子どもの成長の証
自宅にあるもののうち、何割が自分の物でしょう?
結婚して家族が増え、自分の物よりも家族の物が多くなる幸せ。
しかしその幸せをため込みすぎるのが私のいけないところだと感じています。
子どもたちの成長の思い出が色々ありすぎて、部屋を圧迫していることに、実は気づいているのです。
気づいて、見ないふりをしているのです。
いらない物とはいわないまでも、すでに成長した子どもたちが小さいころに遊んだ物たちは、お役御免としてもいいはずですよね。
でもよく遊んだ物ほど捨てられなくて、きれいに詰め直して部屋の隅に置いておく、を繰り返してしまいます。
できない物②思い出の品物
「思い出の物は最後にタックルする」とは、ときめく掃除術のコンマリさんの言葉です。
そうか、最後でいいのか、と安心するものの、実際かなりたくさんあるので気になっている存在ではあります。
それこそ私が中学で引っ越しをした後にもらった手紙や、学生時代の寄せ書き、結婚式でのビデオなどなど。
きれいにまとめて衣装ケースにまとめてあるし、散らかってないし。
でもこの衣装ケースが空けばすっきりするのにな~と思う自分もどこかにいます。
こんな風に思う時点で、思い出の品物がいらないものになっているのでは?という疑問もありますが、それすら見ないふりをしたい・・・
タメコミストは、実は分裂症なのではないか?
なくなればすっきりすると頭ではわかっていながら、がっちりつかんで手放さない。
思考と行動が分裂して、自分でも何をしたいのか・・・誰か教えてください(><)
できない物③高かったもの
断捨離できない物といえば、買った時の値段を考えてしまう物。
結婚式用に購入したワンピース、何度も着ていないコート、だんなさんとおそろいで買ったジャケット
それらが狭いクローゼットの場所をふさいでいるのは確かです。
でもほとんど動かさないので、生活に支障がないまま入れっ放しになっています。
どれも当時は奮発して買ったことを覚えているので、簡単に捨てることができない物たちです。
20年経った物もあるのに、まだ元を取ろうとしているんでしょうか?
あ~自分が恥ずかしい・・・でも捨てられない・・・
断捨離は自分と向き合うこと
断捨離できないそれぞれの物たちと向き合うと、こんな葛藤をいちいちしなくてはいけないんですよね。
「物と向き合うのは、自分と向き合うこと」
「断捨離は単に物を捨てるだけでなく、人生を考えること」
悲しいニュースに触れた今は、自分のこれからを真剣に考えたいと思うようになりました。
私は前向きに歩いているのか。
やりたいことをしていると胸を張って言えるのか。
家族や子どもたちが本当に必要な物を残していけるのか。
ちょうど今、実家の介護がようやく少し落ち着きそうなので、色々考えてしまうタイミングなのかもしれません。
いらない物をため込んで、必要な物を見失う・・・そんなことのないように。
断捨離スト宣言します!
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